少し前の話になっていしまいますが平成30年5月24日に、平成30年度の「日本遺産(Japan Heritage)」13件が新たに認定され、東京ステーションホテルにて平成30年度日本遺産認定証交付式が行われました。認定された団体には、宮田文化庁長官より認定証が授与されました。
矢板のりんごが日本遺産⁇そもそも日本遺産⁇ってなると思います。正直、私も日本遺産についてよく知りませんでした。これを機会にちょっと勉強。
主旨と目的
我が国の文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには, その歴史的経緯や, 地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承, 風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し, これらの活用を図る中で, 情報発信や人材育成・伝承, 環境整備などの取組を効果的に進めていくことが必要です。
文化庁では, 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し, ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。
世界遺産登録や文化財指定は, いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い, 保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は, 既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく, 地域に点在する遺産を「面」として活用し, 発信することで, 地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。
要するに地域の歴史や文化のストーリーを文化財として認定!みたいなことらしいです。
今回の認定は『明治貴族が描いた未来〜那須野が原開拓浪漫譚〜』という題材で那須塩原市・矢板市・大田原市・那須町での認定のようです。詳しくお知りになりたい方はリンク張っておきますので読んでみてください。
かいつまんでお話しすると、 明治政府の中枢にあった貴族階級は、那須野が原での大規模農場の経営に乗り出したそうです。その明治の貴族の別邸などが今もこの地に残っているそう。その中の一人が幕末から明治・大正にかけて活躍した軍人そして政治家の山縣有朋。晩年を矢板で過ごした山縣有朋の洋館は今でも山縣有朋記念館として大切に保管されています。山縣有朋が大正3年(1914)に青森から技師を呼び山縣農場でりんごを栽培したのが「矢板のりんご」のルーツだそうです。認定内容の詳細はこちらに貼っておきます。ちなみに31番の矢板のりんごのイメージ写真は当農園です。
少々矢板のりんごの認定の紐づけが強引な気もしますが…申請にご尽力された矢板市役所のスタッフの方の並々ならぬりんご愛を感じます。加藤農園の初代がりんごを栽培して70年になりますが、矢板のりんごのルーツが100年以上前だったとは感慨深いです。あとはこの認定をどう生かしてアピールしていくかは、我々、生産者にも責任があると思います。
申請に携わった方々、本当にお疲れさまでした。